浜崎あゆみさんの情報(日本語) 2008-09-09 20:30
浜崎あゆみ
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| 浜崎あゆみ | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 出生名 | 濱崎歩 |
| 別名 | ayumi hamasaki |
| 出生日 | 1978年10月2日(29歳) |
| 血液型 | A型 |
| 学歴 | 堀越学園高校中退 |
| 出身地 | |
| ジャンル | J-POP |
| 職業 | 歌手、作詞家 |
| 活動期間 | 1998年~現在 |
| レーベル | avex trax |
| 事務所 | エイベックス?エンタテイメント |
| 共同作業者 | MAX MATSUURA |
| 公式サイト | ayumi hamasaki official site |
| 表?話?編?歴 | |
浜崎 あゆみ(はまさき あゆみ、本名:濱崎 歩(読みは同じ)、1978年(昭和53年)10月2日 - )は日本の女性歌手である。福岡県福岡市出身。福岡市立原中学校卒業。堀越高等学校中退。 愛称は「あゆ」や「ayu」など。英語表記は「Ayumi Hamasaki」。芸能事務所?所属レコード会社はエイベックス?エンタテインメント。血液型はA型。日本を代表する女性ポップス歌手のひとりである。
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目次 [非表示]
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CREAとして、作曲を手がけたこともあった。
また、名字の「浜崎(濱崎)」の正しい読み方は「はまざき」ではなくて「はまさき」である。自身の出身地である九州地方に多い名字である。犬(小型犬)好きでチワワ、ダックスフントなどを飼っている。仕事場に連れてくるのはもちろん、ライブツアーのMC中にステージに登場することもあった。 『タイム』誌アジア版2002年3月25日号の表紙を飾り、2007年から初の海外公演(台北、香港、上海)を含むライブツアーが本格的に行われ、東アジア地域への進出も果たしている。歌手デビュー前にボイストレーニングのために渡米しているが、デビュー当時は英語は不得意だとコメントしていたため、ほとんどの歌詞は日本語であったが、2002年以降は英語詞を含めた楽曲も多く発表している。2006年12月にCNNの日本特集『Japan now』期間中に放送された対談番組『Talk Asia』では、短時間ではあったが英語でを披露している。
ファッションや奇抜な行動は女子中高生を中心に多大なる影響を及ぼし、ファッションリーダーとしてネイルアート、大きなサングラス、豹柄などの流行を生み出す社会現象となった(後にベストジーニストやネイルクイーンでは殿堂入りも果たしている)。 2001年秋にはアルバムの発売が延期されたとの情報で所属レコード会社エイベックスの株価が下落するなど、エイベックスの看板歌手としての側面も注目されるようになった。また、一時は同社の売り上げの4割を占めたこともあり、同社の経営体質の弱点として「あゆ依存」という言葉も生まれた。現在はCD売り上げ自体は2002年頃までに比べると落ち着いているが、騒動がある度にマスコミで大きく注目される程の影響力があることは変わっていない。
福岡のモデル事務所に所属、当時は「浜崎くるみ」の芸名で福岡中央銀行のポスターやその他地元商業広告に登場。その後、東京の大手芸能プロダクションサンミュージックにスカウトされた(現在も都営地下鉄浅草線浅草駅の押上?成田空港?印旛日本医大?芝山千代田方面ホームに掲示されているタレント養成所の広告には、加藤晴彦とともに昔の写真が使われている)。1993年、テレビドラマ『ツインズ教師』で女優としてデビューし、TOKIOの長瀬智也と知り合う。1994年、芸名を「浜﨑あゆみ『崎』の異体字『﨑』」に改名し、テレビドラマや映画等に出演していた。また、音楽バライティ番組にて、歌を披露することはあったが、アイドル色が強かった。1996年末にサンミュージックとの契約が切れ、1997年、本格的に歌手を目指すことになり、ボイストレーニングのためニューヨークへ渡った。
1998年4月8日発売の1stシングル『poker face』で「浜崎あゆみ」としてデビュー。 1999年1月1日発売の1stアルバム『A Song for ××』でオリコンチャート1位を初獲得。約150万枚を売り上げた。4月14日発売の7thシングル『LOVE ~Destiny~ / LOVE ~since1999~』でシングル初のオリコンチャート1位を獲得。8月11日発売の10thシングル『A』が初のミリオンセラーとなった。12月31日、NHK紅白歌合戦に初出場を果たす。 2000年4月より初めてのコンサートツアー CONCERT TOUR 2000 A (第一幕、第二幕と題し全国を2巡)に挑むも、左耳の疾患(内耳性突発難聴)により一部公演を延期。11月、全日本有線放送大賞でグランプリを受賞。以降、2001年と2002年のALL JAPANリクエストアワード、2003年のベストヒット歌謡祭でもグランプリを受賞し、4連覇を達成している。12月13日発売の19thシングル『M』では、CREAとして初めて作曲を手掛けた。12月31日、初のカウントダウンライブを開催。以来毎年の恒例となっている。
2001年3月28日、ベストアルバム『A BEST』を発売。宇多田ヒカルのアルバム『Distance』との同日発売が注目を集めた。結果、宇多田ヒカルに僅差で敗れた。夏には東京、大阪、名古屋、福岡の4大ドームツアーを行った。9月27日発売の24thシングル『Dearest』で日本レコード大賞受賞(以降、2002年、2003年で史上初の3連覇を果たす)。また9月には長瀬智也との交際が明らかになった。 2002年4月24日発売の26thシングル『Free & Easy』は雑誌「Free & Easy」とコラボレーション企画であり、同時に同雑誌の別刊「浜崎共和国」を発売する。 7月24日発売の27thシングル『H』が、日本のシングルCDの売り上げが全体的に低迷しはじめた2002年において唯一、オリコン?日本レコード協会のでのシングルミリオンセラーを記録した。9月26日発売の28thシングル『Voyage』に合わせて短編映画「月に沈む」(監督:行定勲)が公開(後にDVDとして発売)。歌手デビュー以降、初めて女優業を行った。10月12日、初のレギュラー及び総合司会を務める番組「ayu ready?」がスタートした。 2003年3月12日発売のバラードベスト『A BALLADS』ではファン投票により選曲され、多くの曲が別バージョンで収録された。また、5thアルバム『RAINBOW』の初回盤購入者がインターネット上のみで聴くことができたインスト楽曲に、10万人以上のメッセージを読んだ、浜崎あゆみ自身が詞をつけて完成させた「RAINBOW」が収録された。10月、シングル30枚発売記念スペシャルライブA museum ~30th single collection live~が行われた。12月17日、初のミニアルバム『Memorial address』を発売する。Bonus Trackの「Memorial address」以外の収録曲全てに対しプロモーションビデオが作られるなど、この頃からプロモーションビデオにも力を入れるようになった。
2004年3月20日、総合司会を務めていた番組「ayu ready?」の放送が終了した。この頃からCM等のキャラクターの多くを降板し、歌手業に専念している。爆発的なヒットはないものの、CDの売上枚数は安定していた。7月末、エイベックスお家騒動が起こる(→諸騒動、エイベックス参照)。 2005年11月30日発売の38thシングル『Bold & Delicious/Pride』は海外アーティスト(GEO of SWEETBOX)とコラボレーションに挑戦したが、アルバムの先行シングルだった等の要因で、売上枚数を落としてしまう。 2006年6月21日に発売された40thシングル『BLUE BIRD』ではソロ歌手および女性ボーカルでは史上初のシングル総売上2000万枚を達成する(ちなみに、総売上2000万枚を達成しているのは他にB'z、サザンオールスターズ、Mr.Children、SMAPの4組のみ)。11月29日に発売された8thアルバム『Secret』は当初、2ndミニアルバム(全7曲収録)として公式サイトに告知されていた。しかし、選曲の問題や本人の出演するPanasonicのCM曲である「JEWEL/1LOVE」の反響が大きく、その結果、8th フルアルバム(14曲収録)へ変更した。NHK紅白歌合戦では「JEWEL」を選曲し、初めてアルバム曲を披露することになった。
2007年2月28日、『A BEST 2 -BLACK-』、『A BEST 2 WHITE-』が発売された。オリコン?チャート1位および2位を初登場で独占。この記録は女性アーティストとしては、1970年の藤圭子の記録以来、36年ぶりの記録であった。7月18日発売の41stシングル『glitter/fated』のDVDには香港の俳優?余文樂(ショーン?ユー)と共演し、ショートフィルム「距愛 ~Distance Love~」が収録されている。また、発売日直前の7月13日、音楽番組のプロモーションライブ終了直後、長らく交際していたTOKIOの長瀬智也と破局した事を自身のファンクラブのブログで発表した。12月5日には、初のデジタル?ダウンロード規格のみシングル『Together When...』を発表。 2008年1月4日、自身のファンクラブのブログにおいて、以前から抱えていた左耳の疾患(内耳性突発難聴)が悪化し、左耳の聴覚が失われもう治らなくなったことを告白した。4月8日にデビュー10周年記念を迎え、記念シングル『Mirrorcle World』を発売した。4月6日より、10周年記念ライブツアーASIA TOUR 2008 ~10th Anniversary~を開始した。
内耳性突発難聴)を患い、一部公演を延期した。医者からは「すぐ治療にとりかかるべきだ」と告げられていたが、ツアーを強行した。後に左耳の聴覚が弱くなる後遺症を負ったことを公表した。その後も定期健診は受けるが、治療のための休養をとらなかった。そのため、2007年末頃には医者から「治療の術はない」と、左耳の聴覚が完全に失われ治らなくなったことを告白していた。
インターネットを発端として「浜崎あゆみが身障者の少女を罵倒した」という噂が流れ、それも動画付きというかなり信憑性に富むものであった。新聞報道にまで拡大し、瞬く間に公式ページやファンページが炎上した。これについてavexからは当時の会長兼社長?依田巽が声明文を発表したものの、誠意が感じられないことや、本人の謝罪文でなかったことなどから大炎上に繋がる。しかし、後にこれが完全なる虚偽であり、実際には2001年のカウントダウンライブの映像をとある大学生が「障害者を罵倒した」と取れるように加工し、そのように見せかけただけであることが判明し、後日その大学生は逮捕されている。[要出典]雑誌「Free & Easy」とのコラボレーション雑誌「浜崎共和国」において「自分がデマを撒かれたことよりも、そのデマにファンが迷ったり辛い思いをしたのなら、そのほうがよっぽど辛い」とのコメントを発表している。なお、この事件の影響でこの年のアリーナツアーではスポンサーがつかない事態となり(浜崎のライブでスポンサーがつかなかったのはこの時のみである)、2003年1月に発売された問題のカウントダウンライブのDVDはアンコールがほぼ丸ごと(ラストの「Endless Sorrow "gone with the wind ver."」以外)カットされてしまった。
松浦勝人が、会長であった依田巽と経営方針が決裂し、別会社を設立することを表明した[1]。その直後、浜崎あゆみ自身もマスコミに対し「彼の存続と共に浜崎あゆみの行方も決めさせて頂きたいと思っております。」と松浦に追従し移籍する考えを明らかにした。当時、エイベックスの事実上の代表アーティストであった浜崎あゆみの表明が決定的な大打撃となり、株は大暴落、株主からの抗議が殺到し、また、エイベックス社内は大混乱に陥った。8月3日、浜崎あゆみの表明を大きくうけ、経営陣は方向転換を余儀なくされ、松浦は執行役員として復帰(後に社長就任)し、移籍の懸念等は解消された[2]。このお家騒動を理由にこの年の日本レコード大賞など一連の賞レースを辞退し、以降賞レースからは距離を置く様になる。
全日本有線放送大賞→ALL JAPANリクエストアワード→ベストヒット歌謡祭
他多数。
トップバッター)。これはレコード大賞参加(2003年まで。レコード大賞は2006年より日程を紅白前日の12月30日に変更)と自身のカウントダウンライブ開催の影響により出演する時間が限られているためである。また、カウントダウンライブ会場(代々木第一体育館)と紅白歌合戦会場(NHKホール)は代々木公園を挟んで隣同士にあるため、2007年時点ではこれを理由とした出場辞退はしていない。
| 年度/放送回 | 回 | 曲目 | 出演順 | 対戦相手 |
|---|---|---|---|---|
| 1999年(平成11年)/第50回 | 初 | Boys & Girls | 14/27 | 野猿 |
| 2000年(平成12年)/第51回 | 2 | SEASONS | 15/28 | L'Arc?en?Ciel |
| 2001年(平成13年)/第52回 | 3 | Dearest | 14/27 | ゴスペラーズ |
| 2002年(平成14年)/第53回 | 4 | Voyage | 15/27 | ポルノグラフィティ |
| 2003年(平成15年)/第54回 | 5 | No way to say | 16/30 | 森山直太朗 |
| 2004年(平成16年)/第55回 | 6 | Moments | 18/28 | ゴスペラーズ |
| 2005年(平成17年)/第56回 | 7 | fairyland | 17/29 | 氷川きよし |
| 2006年(平成18年)/第57回 | 8 | JEWEL | 16/27 | スキマスイッチ |
| 2007年(平成19年)/第58回 | 9 | Together When... | 18/27 | 槇原敬之 |
Velfarre Openinng
| 担当 | 名前 | 備考 |
|---|---|---|
| 音楽監修 | 小林信吾 | 元キーボード担当 |
| ドラム | 江口信夫 | |
| ベース | エンリケ | 元バービーボーイズメンバー |
| ギター | 野村義男 | |
| キーボード | 友成好宏 | |
| キーボード | 宮崎裕介 | 2004年より小林氏と代わり加入 |
| コーラス | 濱田美和子 | |
| コーラス | 山崎陽子 |
ayu ready?(フジテレビ)(2002年~2004年)
浜崎くるみ名義
浜﨑あゆみ名義
いずれも浜﨑あゆみ名義
| 会社?企業(年) | 製品名/サービス名 |
|---|---|
| 薩摩蒸気屋(1980年代) | かすたどん |
| SNK(1993年) | 龍虎の拳II(ユリ?サカザキ役) |
| 森永製菓(1998年~) | メレンゲショコラ、こんがりショコラ、プチモンブラン、ハイチュウ、ベイク、ウイダーinゼリー |
| 花王(1998年、1999年) | AUBE |
| ホンダ(1999年) | ジョルノクレア(DX) |
| JT(1999年) | 桃の天然水、りんごの天然水 |
| ライコス(2000年) | 検索エンジン |
| たかの友梨(2000年、2001年) | エステティック |
| ツーカー(2000年~2002年) | A MODEL、funstyle(着信メロディサービス) |
| コーセー(2000年~2004年) | VISSE |
| キリン(2001年) | サプリ(清涼飲料水) |
| パナソニック(2001年~) | LUMIX、Dockin'style MD、D-snap(オーディオ、カメラ)、D-dock、デジタルT、DREAM |
| サントリー(2002~2004年) | BOSSコーヒー、フレシネワイン |
| ミスタードーナツ(2002年) | AYU COMBO |
ほか